前回は、メーカーとメディアが飛距離を商品として売り、それに合わせてゴルフの価値観まで変わっていった可能性を考えました。
今回は、そもそもゴルフとは、どのような競技だったのかを考えてみます。
ゴルフには、体操やフィギュアスケートのような採点競技とは大きく異なる特徴があります。
スイングが美しいか。
球筋が芸術的か。
難しいショットを打ったか。
それを審判が点数にする必要はありません。
狙った場所へボールを運び、最終的に何打でホールアウトしたか。
その結果だけで勝敗が決まります。
しかし、これはゴルフが単純な競技だという意味ではありません。
むしろゴルフは、審判の主観を使わずに、非常に多くの技術を評価できる競技でした。
飛距離。
方向性。
距離感。
弾道の高さ。
球筋の打ち分け。
風への対応。
傾斜への対応。
クラブ選択。
ミスを避ける判断。
そして、ボールを狙った場所へ止める能力。
それらをコースそのものが問い、最終的な打数として答えを出します。
コースが採点者だったのです。
正しい場所へティーショットを置けば、次のショットが打ちやすくなる。
間違った側へ打てば、木やバンカーによってピンを狙えなくなる。
飛距離を抑えて平らな場所へ置くのか。
多少の危険を承知で、さらに前へ出すのか。
選手の判断と技術が、次の課題を変えていきます。
つまりゴルフは、1打ごとに試験問題が変わる競技です。
しかも、その問題を作るのは選手自身です。
ティーショットをどこへ打ったかによって、次のショットの難易度が決まる。
セカンドショットをどこへ外したかによって、アプローチの難易度が決まる。
判断と結果が連続し、最後の打数へつながります。
これが、ゴルフという競技の大きな特徴だったはずです。
ところが、飛距離が常に利益へ変換されるようになると、この評価装置は単純化されます。
できるだけ遠くへ飛ばす。
残り距離を短くする。
短いクラブを持つ。
高い球でピンの近くへ止める。
この方法がほとんどのホールで正解になれば、選手が考える必要は少なくなります。
もちろん、遠くへ正確に飛ばすことも高度な技術です。
しかし、その能力が他の技術を大きく代替するようになると、ゴルフは多面的な競技ではなくなります。
飛距離があれば、長いクラブを使う技術を減らせる。
飛距離があれば、低い球を転がして止める技術を使わなくてもよい。
飛距離があれば、フェアウェイの細かな位置よりも、残り距離の短さを優先できる。
つまり、最大出力によって試験問題そのものを簡単にできるのです。
ここまで来ると、ゴルフは陸上競技に近づいていきます。
誰が最も速く走れるか。
誰が最も遠くへ投げられるか。
誰が最も高く跳べるか。
陸上競技は、身体能力を純粋に測るという意味で、非常に完成された競技です。
しかし、ゴルフは本来、それとは違いました。
身体能力だけでなく、判断、精度、距離管理、球筋、地形の利用を組み合わせる競技でした。
飛距離がない選手でも、別の能力によって勝つことができました。
サム・スニードほど飛ばなかったベン・ホーガンが、ボールコントロールによって勝つことができた。
ツアー屈指のロングヒッターではなかったコリー・ペイビンやジム・フューリクが、全米オープンを制することができた。
それは、当時のコースが、異なる能力を持つ選手に異なる勝ち方を残していたからです。
この違いは重要です。
飛距離のない選手にも勝つ道があるということは、飛距離の価値が低いという意味ではありません。
飛距離以外の能力にも、同じように勝敗を変える力があったということです。
しかし現在は、まず一定以上の飛距離を持っていなければ、ほかの技術を評価される段階まで進みにくくなっています。
高いコントロール技術を持っていても、長いクラブで硬いグリーンを狙わなければならない。
飛距離のある選手は、多少位置を外しても、短いクラブで同じグリーンを狙える。
同じホールをプレーしていても、実際には違う難易度の試験を受けています。
では、飛距離のない選手の技術が落ちたのでしょうか。
そうではないでしょう。
弾道計測器。
スイング解析。
クラブフィッティング。
コースデータ。
フィジカルトレーニング。
現代の選手は、過去よりも多くの情報と技術を持っています。
それでも飛距離のない選手が勝ちにくくなったのであれば、変わったのは選手ではありません。
競技が、どの能力を評価するかです。
本来のゴルフでは、コースが選手へ複数の問いを投げかけていました。
どこへ運ぶのか。
どの球筋を使うのか。
どこまで飛ばすのか。
どの場所からなら、次のボールを止められるのか。
しかし現在は、その多くが一つの問いへ集約されつつあります。
どれだけ前へ出せるのか。
これでは、ゴルフが持っていた精密な評価機能が失われます。
人の採点を必要とせず、コースそのものが多様な技術を評価する。
それがゴルフの優れたところでした。
ところが、飛距離だけが強く報われるコースでは、コースは採点者として十分に機能しません。
ゴルフが陸上競技に近づいたというのは、選手が筋力をつけたからではありません。
競技側が、最大出力を最も重要な評価項目にしてしまったからです。
戻すべきなのは、昔の飛距離ではありません。
飛距離のある選手にも、飛距離のない選手にも、それぞれ異なる方法で正解へたどり着けるコースです。
飛距離を使う。
位置を選ぶ。
角度を作る。
地面を使う。
球筋を変える。
それらの能力を、コースがもう一度平等に問い直す必要があります。
ゴルフは、誰が最も遠くへ飛ばせるかを測る競技ではありません。
誰が最も適切な方法で、ボールを目的地へ止められるかを測る競技です。
さらにゴルフでは、人間の身体が生み出した力を、クラブという長い道具を通して増幅し、ボールへ伝えます。
そのため、ほんのわずかなタイミングやフェース向きの狂いが、打ち出す方向、球筋、飛距離、着弾地点に大きな違いを生みます。
どれほど優れた選手でも、すべてのショットを完全に再現することはできません。
大切なのは、ミスを完全になくすことではありません。
起きた結果を受け入れ、そこから与えられた次の問題を工夫して解くことです。
そして可能であれば、目の前の一打を成功させるだけでなく、次に与えられる問題が少しでも簡単になる場所へボールを運ぶ。
ティーショットでは、次のショットを打ちやすい場所を選ぶ。
グリーンを外すなら、アプローチしやすい側へ外す。
ピンを直接狙えないなら、ボギーではなくパーを残せる場所へ運ぶ。
ゴルフでは、一打ごとの結果が、次の問題の難易度を変えていきます。
だからこそ、ゴルフは単なる動作の正確性を競うスポーツではありません。
不完全な結果を受け入れながら、判断と技術によって次の一打を組み立て直す競技です。
ここに紹介する動画も、そのことを考えるうえで参考になると思います。
次回は、このシリーズの出発点となったジャック・ニクラスの言葉へ戻ります。
帝王が本当に守ろうとしているものは、昔のゴルフなのでしょうか。
それとも、異なる技術を持つ選手が、それぞれの方法で勝つことのできるゴルフなのでしょうか。
シリーズの結論として考えてみます。
