より良くなろうとすることがダメな場合がある。

世界No.1であり、メジャーチャンピオンのデビット・デュバルがなぜ強かったのか。そして、突如といっていいほど、ダメになったのかを、解説した動画です。

動画の内容は以下となります。

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デビッド・デュバルは、すでに機能しているスイングを変え始めたときに何が起こるか、その現代ゴルフにおける最も痛ましい例かもしれません。

彼は世界ランキング1位になり、59を記録し、賞金ランキング1位にもなり、2001年にはロイヤル・リザムで全英オープンを制しました。1997年から2001年までにPGAツアーで13勝。現代ゴルフでも屈指の5年間を築いた選手です。

※当時、彼の登場はセンセーショナルでした。これまでに見たことのないスイングタイプで、PGAに登場するや否や一気にランキングを駆け上がりました。

ところが、その後、完全に表舞台から姿を消しました。2001年を最後に優勝はなく、彼のゴルフはほとんど一夜にして崩壊したように見えました。

※全英オープンでの優勝はピーク過ぎた時と言ってもいいとおもいます。それから、本当にあっという間に消え去りました。その辺りの経緯は、あとで出てくるパギーと木場本先生が親交が深かった事もあり、先生を通じて聞いていました。この後は、それが書いてあります。

そして、彼が「何を変えたのか」、そして「なぜ変えたのか」を理解すると、その原因と結果の関係が痛いほど明確になります。

デビッドは、ゴルフの世界の中で育ちました。父のボブ・デュバルはジャクソンビルのティムクアナ・カントリークラブのプロで、デビッドは事実上そのゴルフ場で育ったようなものでした。

1989年の全米ジュニア・アマチュアに優勝し、ジョージア工科大学では4度ファーストチーム・オールアメリカンに選ばれました。また、非常に評価の高い大学ゴルフコーチ、パギー・ブラックモンの指導を受けました。

父親とブラックモンの指導によって、デュバルには非常に強固な基礎が築かれていました。PGAツアーに出るずっと以前から、世界レベルで戦えるスイングが出来上がっていたのです。

しかし全盛期のデュバルを特別な存在にしていたのは、そのスイングが彼自身の身体に極めてよく適合していたことでした。

※デュバルのスイングは完全にアクセラレート・ゴルフ・ラーニングシステム(以下AGL)に適合したスイングで、もう1人のAGLの提唱者ジョージ・ケルンフォファーがいます。以下、投稿者がスイングを解説しているので文字起こしを読み進めましょう。

彼はストロンググリップを使い、早い段階からフェースを閉じ気味にし、トップではシャフトがわずかにレイドオフ。そしてボールを通過するときには、非常に大きく、迷いのない回転運動を行っていました。

手を使った細かな操作はほとんどしません。

安定したフェースを保ったまま、身体を強烈に左へ回転させ、彼特有の小さなフェードを打っていました。

後年、彼のスイングを分析した人々は、インパクトを通じてフェースがいかに安定していたかを指摘しています。

フェースのぐらつきがほとんどなく、大きく曲がることもない。ただ再現性の高い弾道を打ち続ける。

彼の回転運動と閉じ気味のフェースが噛み合っていると、ボールはターゲット方向に出て、そこからほんの数ヤード右へ落ちていきました。

これこそが彼の「DNA」でした。

※普通の選手と比較すると、トップでのクラブフェースの向きはシャットですが、普通の選手が開いているのであって、彼は閉じてはいません。ですので、何もしていないのです。

1997年から2001年にかけて、このパターンによって彼はほぼ無敵の存在になりました。

1997年に本格的にブレークし、1998年には4勝。1999年には世界ランキング1位となり、ボブ・ホープ・クラシックでは最終ホールのイーグルで59を記録。そして2001年、全英オープン制覇で頂点に立ちました。

その圧倒的な強さのすべてが、このスイングの組み合わせから生まれていました。

閉じたフェース。大きなターン。小さく締まったフェード。左へのミスを恐れる必要がない。

これがデュバルのゴルフでした。


2:07〜

ところが、その後すべてが変わります。

しかも急激にです。

1999年末頃から、デュバルは厳格なフィットネスと食事管理を始めました。それ以前にも約40ポンド体重を落としていましたが、この時期の取り組みはさらに極端なものでした。

激しくウェイトトレーニングを行い、食事を厳密に管理し、身体そのものを作り変えていきました。

同じ頃、2000年代初頭には背中を痛めます。

後に本人は、背中をかばいながらスイングしていたため、「スイングがおかしくなってしまった」と語っています。

デュバルのように、大きな回転運動に依存していた選手が、それまでと同じように回転できなくなれば、その影響は非常に大きくなります。

しかし、その次に行った決断が、最も危険なものだったのかもしれません。

デュバルは、安定してドローを打てるようにしようとし始めたのです。

これは彼の低迷期について実際に記録されていることです。

ここで、その意味を考えてみてください。

彼のシステム全体は、

ストロンググリップ+閉じたフェース+強烈な回転+フェースを返し過ぎずに振り抜く

ことで、タイトなフェードを打つように構築されていました。

ところが今度は、閉じたフェースのまま、しかも背中の状態が悪い中で、ボールを反対方向へ曲げようとしていたのです。

その結果、スイング中にフェースはさらに閉じるようになりました。

痛みのために身体の回転量は減少しました。

すると、それまで美しかったフェードは、突然「タイミング勝負」のショットへと変わってしまいます。

早くリリースすれば左へ。

それを嫌って何とか調整すれば右へプッシュ。

フェードヒッターが左右両方へミスし始めれば、自信は急速に失われていきます。

重要なのは、デュバルが新しい有名コーチや流行の理論に影響されて、このスイング変更を始めたわけではないということです。

むしろ、すべてが崩れ始めた後、彼は逆方向へ進みました。

昔の自分のパターンを取り戻すために、以前のコーチのもとへ戻ったのです。

新しいシステムを追い求めたのではありません。

昔のスイングを再構築しようとしました。

しかし、彼の身体はすでに以前と同じようには動けなくなっていました。

さらに、新しく求めた球筋も、父親やパギー・ブラックモンのもとで作り上げたスイングの基礎とは一致していませんでした。

彼を世界トップレベルにしたシステムは、失われてしまったのです。


3:53〜

結果はすぐに数字に表れました。

全英オープンに勝ったその年でさえ、賞金ランキングは80位まで低下。

2003年には211位まで落ち、ツアーカードを失いました。

背中の故障、手首の問題、めまい、肩の痛み、私生活上のストレス。

考えられるほとんどすべての問題が彼を襲いました。

そして、元々成立していたスイングの「組み合わせ」が崩れてしまったため、その後の再建もなかなか定着しませんでした。

2002年から2008年にかけて、リーダーボードに名前が載ることはほとんどなくなります。

2005年には年間を通して予選通過がわずか1回。

数年間における最高成績も、13位タイや16位タイ程度でした。

※デュバルが体を鍛え始めた時に、周りの人たちはこぞって止めたそうです。デュバルはデュバルのスイングをわかっていなかったかもしれませんが、周りの人たちは、わかっていたようです。しかし、強い状態から、体を鍛えたらもっと上のものが手に入ると思っていたんだと思います。

59を出した時には、シャツが背中からはみ出るような体型だったです。

力を使わずにスイングしていたんです。しかし、力がつくと、その力に頼るスイングになります。

90ヤードまで、3ヤード刻みで打てたショットは影を潜めます。ショットは意思に反して、逆に曲がります。

ところが2009年。

ベスページ・ブラックで行われた全米オープンで、突然、かつてのデビッド・デュバルが戻ってきます。

彼は本戦に出場するために、地区予選から勝ち上がらなければなりませんでした。

多くの人は、彼が出場していることさえ知らなかったほどです。

しかし2日目を終えると4位タイ。

3日目を終えると3位タイ。

そして最終的には2位タイで大会を終えました。

2002年以来、最高の成績でした。

その映像を見ると、昔の「DNA」がはっきり残っています。

安定したフェース。タイトなフェード。迷いのない腰のターン。

身体がこれだけ多くの問題を経験した後でさえ、かつての組み合わせが再び現れたとき、あの一流選手はまだ彼の中に存在していたのです。


4:58〜

これが、デビッド・デュバルから学べることです。

彼が崩壊したのは、彼のスイングが「変なスイング」だったからではありません。

身体を変えた。

怪我をした。

求める球筋を変えた。

そして、それらを、本来そうした変化に対応するように作られていなかったスイングパターンの上に重ねてしまったからです。

彼のフェードは欠点ではありませんでした。

それこそがシステムだったのです。

閉じたフェースも問題ではありませんでした。

それが他の動きと組み合わされることで成立していたのです。

そして彼の回転運動は、あってもなくてもよいものではありませんでした。

すべてを機能させるためのエンジンだったのです。

身体が変わり、打とうとする球筋が変わったとき、その機械全体が崩壊しました。

だからといって、デュバルが精神的に弱かったとか、怠けていたということではありません。

意欲がなかったわけでもありません。

彼もまた、多くのゴルファーがするように、

「もう少し良くなりたい」

と考えたゴルファーだったのです。

しかし、世界ランキング1位にまでなった選手で、しかも非常に特殊で完成された「スイングDNA」を持っている場合、わずか数度の変化でさえシステム全体を壊してしまう可能性があります。

彼のキャリアから一つ学ぶとすれば、これです。

スイングは、自分の身体、自分の傾向、そして打ちたい球筋の意図が、すべて一致しているときに機能する。

デビッド・デュバルは、ゴルフ史において「原因と結果」を考えるうえで最高の教材の一人です。

彼の飛躍は、完璧な組み合わせによって作られました。

彼の転落は、その組み合わせを壊したことによって起きました。

そして2009年の一時的な復活は、

昔のDNAが戻れば、かつての偉大さもまだそこにある

ということを証明したのです。

 

どうでしたか?生粋のデュバルファンで木場本先生からいろいろ聞くことだできた店長ですが、youtubeにパギーの名前が出てきたときのは驚きました。

そして、5ヵ月前には最もシンプルなLPGA選手として「山下美夢有」を紹介していることも驚きです。興味深い動画が沢山あるようなので、紹介することもあると思います。

カテゴリーPING

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