使用率 No.1!

ウインダムクラークがSCOTTSDALE ALLYBLUE ONSET CBを使っての優勝はかなりインパクトがあったようで、アクセス数も伸びていますが、こちらも、かなりすごい事です。

今年のメジャー大会でG440LST DRIVERが一番使われたという投稿です。

PINGを疑うよのですが、AIに本当かどうかを調べてもらいました。

指定の投稿は 「Augusta、Aronimink、Shinnecock の3メジャー連続で、G440 LST が使用本数1位のドライバーモデルだった」 という趣旨です。該当投稿の検索結果でもその文言が確認できます。

対象大会

投稿内の表現 大会 会場
Augusta 2026 Masters Augusta National
Aronimink 2026 PGA Championship Aronimink GC
Shinnecock 2026 U.S. Open Shinnecock Hills

1. 2026 Masters:G440 LST 使用選手

Golf Monthly の「2026 Masters 全選手の使用ドライバー」表では、G440 LST は11本使用で、最も多いドライバーモデルとされています。

確認できる使用選手は以下です。

選手 ドライバー
Brian Campbell PING G440 LST
Patrick Cantlay PING G440 LST
Corey Conners PING G440 LST
Harris English PING G440 LST
Chris Gotterup PING G440 LST
Mason Howell(アマ) PING G440 LST
Matt McCarty PING G440 LST
Rasmus Neergaard-Petersen PING G440 LST
Andrew Novak PING G440 LST
Jose Maria Olazabal PING G440 LST
Mike Weir PING G440 LST

Golf Monthly は、G440 LSTについて「Augusta Nationalで11本使用、Titleist GT3の9本を上回った」と説明しています。

2. 2026 PGA Championship:G440 LST 使用選手

PING側の投稿では、PGA ChampionshipでG440 LSTが20本使用され、最も多いドライバーモデルだったことは確認できます。

ただし、今回確認できた公開ソースでは、20名の選手名一覧までは取得できませんでした。
確認できたのは「20本使用」「最多モデル」という事実までです。

3. 2026 U.S. Open:G440 LST 使用選手

指定投稿の内容から、Shinnecock=2026 U.S. Open でも G440 LSTが使用本数1位のドライバーモデルだったことは確認できます。

ただし、こちらも公開検索で確認できた範囲では、U.S. Open出場選手ごとのG440 LST使用者一覧は見つかりませんでした。

現時点の結論

確実に選手名まで抜き出せたのは 2026 Masters の11名です。

PGA Championship と U.S. Open については、PING公式系の投稿から 「G440 LSTが最多使用モデル」 までは確認できますが、使用選手の全リストは公開ソース上では確認できませんでした。

という事になります。

店長的にびっくりしたことは、マスターズチャンピオンのレジェンドである

オラサバル

ウィアー

が使用していることなんですが、もう知らない方のほうが多いですよね。

優勝POP ピンゴルフジャパンが追いかけてきた!

やっと、ピンゴルフジャパンがLBブログに追いつきました。
と言ったら、怒られるかな?

画像をクリックするとPDFが開きます。

という訳です。このブログの読者の方は、US PINGが全米オープン初日にこれを発表してから店長が大騒ぎ(大騒ぎは暫く続きます)していることをご存じだと思います。 “優勝POP ピンゴルフジャパンが追いかけてきた!” の続きを読む

ウインダム・クラークはなぜ全米オープンで強いのか 第一話 全米オープンはなぜパッティングが難しいのか

ウインダム・クラークの優勝の余韻を借りて、店長が、なぜクラーク推しだったのかを追記いたします。

店長がクラークに注目していた理由は、実は、SCOTTSDALE TEC ALLYBLUE ONSET CBだけではなく、単に飛ぶからでも、体が大きいからでもありません。

もちろん、彼のショット力は大きな武器です。
しかし、全米オープンという大会で本当に勝敗を分けるのは、ただ飛ばす力ではありません。

歴史ある名門コースで行われることの多い全米オープンでは、フェアウェイを外せばラフに捕まり、グリーンを外せば簡単には寄らず、グリーンに乗っても安心できません。

速く、硬く、傾斜の強いグリーンでは、強く打つパッティングよりも、弱く、正確に、ボールへエネルギーを与える技術が求められます。

ここで重要になるのが、クラークのパター選びです。

彼が使ってきたのは、いわゆる普通の長さ・普通の重さのパターではありません。
中尺で、重量感があり、ストローク中の余計な操作を抑えやすいパターです。

店長がクラークを推していた理由は、まさにここにあります。

全米オープンのようなコースでは、豪快なショットだけでは勝ち切れません。
最後に必要になるのは、弱いタッチでもフェースを安定させ、狙った方向へボールを正しく転がす能力です。

クラークのパター選びには、その大会特性に対する合理性が見えます。

つまり、クラークはただ調子が良かったから勝ったのではなく、全米オープンで勝つために必要な要素を、道具の面でも持っていた選手だったのではないか。

今回はその視点から、

ウインダム・クラークはなぜ全米オープンで強いのか

を考えてみたいと思います。

第一話は、全米オープンはなぜパッティングが難しいのか

です。

全米オープンという大会は、他のメジャーとは少し性格が違います。

もちろん、マスターズにも独特の難しさがあります。
全英オープンには風とリンクスの難しさがあります。
PGA選手権には、現代的な総合力を問う難しさがあります。

しかし、全米オープンの難しさは、もっと我慢比べに近いものです。

簡単にバーディーを取らせない。
少しでもズレると、すぐにボギーになる。
よいショットを打ったつもりでも、次の一打が楽にならない。

そういう大会です。

そして、その難しさを作っている大きな要素が、開催コースにあります。

全米オープンは、歴史ある名門コースで行われることが多い大会です。

Oakmont。
Shinnecock Hills。
Winged Foot。
Merion。
Pinehurst No.2。
Pebble Beach。
Los Angeles Country Club。

名前を並べるだけでも、アメリカゴルフの歴史そのものと言ってよいコースが多くあります。

これらのコースは、ただ距離が長いだけではありません。

むしろ、現代の大型造成コースのように、広いグリーンでボールを受け止める設計とは違います。

グリーン面が小さい。
傾斜が強い。
グリーン周りの逃げ場が少ない。
ピンの近くに外したつもりが、実は一番難しい場所に止まっている。

そういう設計が多いのです。

つまり全米オープンでは、ショットの精度だけでは足りません。

フェアウェイに置く。
グリーンに乗せる。
外したら寄せる。
そして、最後にパットを沈める。

この一つ一つの工程で、少しずつ選手にストレスがかかります。

特に厄介なのが、グリーン上です。

全米オープンのグリーンは、速く、硬く、簡単には止まりません。

しかも、ただ速いだけではありません。

速いグリーンなら、弱く打てばよい。
そう考えるのは簡単です。

しかし、実際にはそう単純ではありません。

弱く打つということは、ボールに与えるエネルギーが小さいということです。

エネルギーが小さいということは、フェースの向き、打点、ストロークの緩み、わずかな手首の動きが、そのまま結果に出やすいということです。

強く打つパットなら、多少のズレを勢いでごまかせることがあります。

しかし、速いグリーンで弱く打つパットは、ごまかしが効きません。

フェースがほんの少し開けば、ボールは右へ出ます。
ほんの少し閉じれば、左へ出ます。
インパクトで緩めば、届きません。
少し押し出せば、返しのパットが残ります。

つまり、全米オープンのパッティングで難しいのは、単に距離感を合わせることではありません。

弱いタッチの中で、ボールの進行方向へ正しくエネルギーを与えること。

これが難しいのです。

店長はここが、全米オープンのパッティングの本質だと思っています。

マスターズのパッティングは、大きな傾斜をどう読むか、どのラインに乗せるか、どこで止めるかという距離感の勝負という面が強くなります。

一方、全米オープンでは、もっと小さなズレが命取りになります。

入れにいったパットが少し強ければ、返しが怖い。
寄せにいったパットが少し弱ければ、次もまだ神経を使う。
カップの近くに止まっても、そこからが簡単ではない。

だから選手は、常に「どこまで攻めるか」と「どこで止めるか」の間で揺さぶられます。

この状況で必要になるのは、強く打つ勇気だけではありません。

むしろ必要なのは、弱く打ってもフェースを安定させる能力です。

小さなストロークでも、ボールへきちんとエネルギーを伝える能力です。

そして、狙った方向へ、余計な横ブレを入れずに転がす能力です。

ここに、ウインダム・クラークのパター選びを見る意味があります。

クラークは、全米オープンを力でねじ伏せた選手というより、全米オープンで必要になる「我慢のパッティング」に対して、非常に合理的な道具を選んでいた選手と見ることができます。

長めで、重く、ストローク中に余計な操作をしにくいパター。

これは、速いグリーンで強く打つための道具ではありません。

むしろ、弱く打つための道具です。

弱いタッチでもヘッドが暴れにくい。
弱いタッチでもフェースの向きが変わりにくい。
弱いタッチでも、ボールへ一定のエネルギーを与えやすい。

全米オープンのような大会では、この差が非常に大きくなります。

パターは、入れるための道具です。

しかし、全米オープンではもう一つの役割があります。

それは、外し方を小さくすることです。

大きくオーバーしない。
大きくショートしない。
ラインから大きく外さない。
次のパットを難しくしない。

この「外し方を小さくする」という考え方は、全米オープンでは非常に重要です。

そして、クラークの中尺・重量級パターには、その思想が見えます。

だから店長は、クラークの強さを単なる勢いや調子の良さだけでは見ていません。

全米オープンという大会が要求するパッティング。
その要求に対して、彼の道具選びが非常に合っていた。

ここに、クラーク推しだった理由があります。

次回は、クラークのパターそのものに少し踏み込みます。

2023年のOdyssey Jailbird。
そして、SCOTTSDALE TEC ALLYBLUE ONSET CB。

メーカーは違っても、そこに共通する思想は何か。

第二話では、

ウインダム・クラークはなぜ中尺・重量級パターを選んだのか

を考えてみたいと思います。

PING PUTTER PRO ウインダム・クラークが全米オープンを制しました。

難コース、シネコック・ヒルズを制したのは

PING PUTTER PRO

ウインダム・クラーク

です。これで全米オープン2勝目我慢大会に強いプロですね。

でもですね、朝起きて、スコアを崩していたのでどうしようかと思いましたよ。周りの人にどれだけ優勝予想したか、昨日の試打会でもです。嘘つきになるかならないかの緊張感を味わいました。 “PING PUTTER PRO ウインダム・クラークが全米オープンを制しました。” の続きを読む

帝王の言葉 第8話 帝王が守ろうとしているもの

ここまで、ジャック・ニクラスの発言を起点に、現代ゴルフが抱える問題を考えてきました。

ニクラスは、現在のPGAツアーの日程について、重要な大会が短期間に集中しすぎていると懸念を示しました。

大きな大会が連続すれば、トップ選手はすべての試合へ万全な状態で出場することができません。

その結果、一部の大会へ選手と注目が集中し、それ以外の大会は存在感を失っていきます。

また、ボールのロールバックについても、トッププロで十数ヤード程度の飛距離低下では問題を解決できないとして、

「タイタニック号からデッキチェアを投げ捨てるようなもの」

と表現しました。

これらを別々の発言として読めば、一方は日程問題、もう一方は飛距離問題です。

しかし、ここまで考えてきたことを重ねると、二つの発言は同じ問題へつながっているように見えます。

それは、現代のゴルフ界が、

何をゴルフの価値として残そうとしているのか

という問題です。

高額賞金大会へトップ選手を集中させる。

大観衆を収容できるスタジアムコースを使う。

飛距離が映える広いコースを用意する。

300ヤードを超えるドライバーショットや、パー5の2オンを見せ場として売る。

こうした興行は、非常に分かりやすいものです。

しかし、その一方で、各大会が持っていた固有の価値が薄れていきます。

狭いコース。

短いコース。

風の強いコース。

木によって射線が限定されるコース。

地面の硬さや傾斜を使わなければ、ボールを止められないコース。

それぞれ異なる能力を選手へ要求するからこそ、ツアーには多様性がありました。

ところが、大会の価値を賞金額と出場選手の顔ぶれだけで決めるようになれば、開催コースが選手へ何を問うのかは、二次的なものになります。

その結果、高額大会に選ばれなかった大会だけでなく、そこで行われてきたゴルフそのものまで評価されなくなります。

ニクラスがコグニザント・クラシックを例に挙げた意味も、ここにあるのではないでしょうか。

単に、自分に縁のある大会へトップ選手を集めてほしいという話ではありません。

PGAナショナルというコースが選手へ与える課題。

地域大会として積み重ねてきた歴史。

ほかの大会とは違うゴルフを見せる価値。

それらが、賞金額による序列の中で埋もれてしまうことへの懸念だったのかもしれません。

ニクラスは飛距離を否定しているのか

ニクラス自身は、全盛期に圧倒的な飛距離を持つ選手でした。

したがって、彼が飛距離の価値を否定しているとは考えられません。

しかし、ニクラスの強さは、単に遠くへ飛ばしたことではありませんでした。

どこへ打つのか。

どの高さで打つのか。

どの方向へ曲げるのか。

どこへ着弾させるのか。

どのミスを避けるのか。

ピン位置から逆算して、ボールをコントロールする能力があったからこそ、帝王と呼ばれる成績を残したのです。

飛距離は、彼の技術の一部でした。

しかし、飛距離が他の技術を必要としなくするほど、無条件の利益ではありませんでした。

飛距離のある選手であっても、その飛距離をどこで使うのかを問われました。

飛ばしすぎれば、悪い位置へ入る。

方向を間違えれば、グリーンへの射線を失う。

残り距離が短くても、悪い角度からはピンの周辺へボールを止められない。

そのようなコースの中で、飛距離をコントロールできたことが、ニクラスの強さだったはずです。

ベン・ホーガンも同じです。

ホーガンは、サム・スニードほど飛ぶ選手ではありませんでした。

それでも、飛距離を追うのではなく、ドローからフェードへ持ち球を変え、曲がり幅と停止地点を管理することで大きな成功を収めました。

ホーガンやニクラスが証明したのは、パワーが不要だということではありません。

パワーは、コントロールの中に置かれて初めてゴルフの技術になる

ということです。

守ろうとしているのは、昔のゴルフではない

ニクラスの発言を、昔のゴルフを懐かしむ老人の言葉として片づけることは簡単です。

しかし、彼が守ろうとしているのは、昔の飛距離や古い用具ではないでしょう。

飛ばないボールへ戻せばよい。

木製のクラブへ戻せばよい。

選手のフィジカルトレーニングを制限すればよい。

そのような話ではありません。

技術が進歩することは当然です。

選手が強くなり、クラブやボールの性能が高まることも、スポーツの発展の一部です。

しかし、競技側がその進歩に対して、ただコースを長くするだけでは、飛距離のある選手をさらに有利にします。

ボールを十数ヤード飛ばなくするだけでも、全員が同じだけ後ろへ下がるだけで、飛距離の相対的な優位は残ります。

必要なのは、昔へ戻ることではありません。

現代の技術を前提にしながら、飛距離、方向性、距離管理、球筋、判断力を、もう一度コースが評価できるようにすることです。

飛ばした方が有利なホールがあってもよい。

距離を抑えた方が有利なホールがあってもよい。

空中から高い球で止める方法があってもよい。

地面を使って転がし、止める方法があってもよい。

一つの正解だけではなく、異なる能力を持つ選手に、異なる攻略法が残されていることが重要です。

商業が競技を支えるのか、競技を変えるのか

メーカー、メディア、PGAツアーにとって、飛距離は売りやすい価値です。

数字で表せる。

映像で伝わる。

新しいクラブやボールの購入理由になる。

観客も、一目で凄さを理解できます。

しかし、売りやすいからという理由で、飛距離だけをゴルフの中心に置けば、競技の方が商品に合わせて変えられていきます。

本来は、優れたゴルフをどのように見せるかを考えるべきでした。

ところが、

売りやすいゴルフとは何か。

盛り上がりやすいゴルフとは何か。

商品を買ってもらえるゴルフとは何か。

という発想が先に立ち、それに合わせてコースや選手の評価まで変わってしまいました。

商業がゴルフを支えるのではなく、商業がゴルフの形を決めるようになったのです。

ニクラスが現在のツアーへ示した違和感は、その主従の逆転に対するものではないでしょうか。

大会の価値は、賞金額だけで決まるのか。

選手の価値は、飛距離だけで決まるのか。

コースの価値は、大観衆を収容できるかどうかで決まるのか。

ゴルフの価値は、すぐに理解できる派手な映像だけで決まるのか。

帝王は、ゴルフ界へその問いを投げかけているように思えます。

帝王の言葉を聞き入れられるのか

PGAツアーが最初に取り組むべきなのは、ボール規制だけではありません。

まず、自らの大会で使用するコース設定を変えることです。

飛距離がそのまま残り距離の短さへ変換され、短いクラブによって簡単にボールを止められる設定を見直す。

フェアウェイの中に、正しい位置と間違った位置を作る。

飛ばした先からは、ピンの周辺へ止めにくくする。

グリーンへの進入角度と、使える着弾地点を重視する。

観客をホールの両側へ並べ、ミスショットを救う構造も改める。

現代のドローン、弾道追尾、大型ビジョンを使えば、観客を特定の観戦エリアへ集めながら、ホール全体の戦略を見せることができます。

観客をコースへ近づけるのではなく、コースと選手の判断を映像で観客へ届ける。

技術は、コースを簡単にするためではなく、ゴルフの複雑さを伝えるために使うべきです。

そしてメーカーやメディアも、飛距離以外の技術を伝えなければなりません。

なぜ、そのクラブを選んだのか。

なぜ、20ヤード短く打ったのか。

なぜ、フェアウェイの左側を狙ったのか。

なぜ、ピンではなくグリーン手前へボールを落としたのか。

それを説明できれば、ターゲットゴルフも十分に観客を魅了できます。

飛距離だけが、ゴルフの見せ場ではありません。

ゴルフは、問題を解き続ける競技

ゴルフでは、人間の身体が作った力を、長いクラブによって増幅してボールへ伝えます。

わずかな狂いが、大きな結果の違いを生みます。

どれほど優れた選手でも、すべてのショットを完全には再現できません。

だからこそ、起きた結果を受け入れ、次に与えられた問題を解かなければなりません。

そして、目の前の一打を成功させるだけでなく、次の問題を少しでも簡単にする場所へボールを運ぶ。

この連続がゴルフです。

ゴルフは、完璧なショットを並べる競技ではありません。

不完全な結果の中から、判断と技術によって最善の答えを探し続ける競技です。

コースは、その能力を人間の主観的な採点を使わずに評価してきました。

ところが飛距離が常に正解になれば、コースが出す問題は単純になります。

どれだけ前へ出せるのか。

それだけでは、ゴルフが持つ多面的な評価機能は失われてしまいます。

帝王が守ろうとしているのは、昔のゴルフではありません。

異なる能力を持つ選手が、それぞれの技術と判断によって問題を解き、それぞれの方法で勝つことのできるゴルフです。

ジャック・ニクラスの言葉を、ゴルフ界は聞き入れることができるのでしょうか。

それとも、これからも飛距離、賞金、観客数という分かりやすい数字だけを追い続けるのでしょうか。

その選択によって、ゴルフがこれからも総合的な技術を問う競技であり続けるのか。

あるいは、最大出力を競うだけのスポーツへ近づいていくのかが決まります。

ニクラスが投げかけた問いに答えるのは、帝王自身ではありません。

PGAツアー。

メーカー。

メディア。

そして、私たちゴルファーです。

帝王の言葉 第7話 ゴルフは、いつから陸上競技になったのか

前回は、メーカーとメディアが飛距離を商品として売り、それに合わせてゴルフの価値観まで変わっていった可能性を考えました。

今回は、そもそもゴルフとは、どのような競技だったのかを考えてみます。

ゴルフには、体操やフィギュアスケートのような採点競技とは大きく異なる特徴があります。

スイングが美しいか。

球筋が芸術的か。

難しいショットを打ったか。

それを審判が点数にする必要はありません。

狙った場所へボールを運び、最終的に何打でホールアウトしたか。

その結果だけで勝敗が決まります。

しかし、これはゴルフが単純な競技だという意味ではありません。

むしろゴルフは、審判の主観を使わずに、非常に多くの技術を評価できる競技でした。

飛距離。

方向性。

距離感。

弾道の高さ。

球筋の打ち分け。

風への対応。

傾斜への対応。

クラブ選択。

ミスを避ける判断。

そして、ボールを狙った場所へ止める能力。

それらをコースそのものが問い、最終的な打数として答えを出します。

コースが採点者だったのです。

正しい場所へティーショットを置けば、次のショットが打ちやすくなる。

間違った側へ打てば、木やバンカーによってピンを狙えなくなる。

飛距離を抑えて平らな場所へ置くのか。

多少の危険を承知で、さらに前へ出すのか。

選手の判断と技術が、次の課題を変えていきます。

つまりゴルフは、1打ごとに試験問題が変わる競技です。

しかも、その問題を作るのは選手自身です。

ティーショットをどこへ打ったかによって、次のショットの難易度が決まる。

セカンドショットをどこへ外したかによって、アプローチの難易度が決まる。

判断と結果が連続し、最後の打数へつながります。

これが、ゴルフという競技の大きな特徴だったはずです。

ところが、飛距離が常に利益へ変換されるようになると、この評価装置は単純化されます。

できるだけ遠くへ飛ばす。

残り距離を短くする。

短いクラブを持つ。

高い球でピンの近くへ止める。

この方法がほとんどのホールで正解になれば、選手が考える必要は少なくなります。

もちろん、遠くへ正確に飛ばすことも高度な技術です。

しかし、その能力が他の技術を大きく代替するようになると、ゴルフは多面的な競技ではなくなります。

飛距離があれば、長いクラブを使う技術を減らせる。

飛距離があれば、低い球を転がして止める技術を使わなくてもよい。

飛距離があれば、フェアウェイの細かな位置よりも、残り距離の短さを優先できる。

つまり、最大出力によって試験問題そのものを簡単にできるのです。

ここまで来ると、ゴルフは陸上競技に近づいていきます。

誰が最も速く走れるか。

誰が最も遠くへ投げられるか。

誰が最も高く跳べるか。

陸上競技は、身体能力を純粋に測るという意味で、非常に完成された競技です。

しかし、ゴルフは本来、それとは違いました。

身体能力だけでなく、判断、精度、距離管理、球筋、地形の利用を組み合わせる競技でした。

飛距離がない選手でも、別の能力によって勝つことができました。

サム・スニードほど飛ばなかったベン・ホーガンが、ボールコントロールによって勝つことができた。

ツアー屈指のロングヒッターではなかったコリー・ペイビンやジム・フューリクが、全米オープンを制することができた。

それは、当時のコースが、異なる能力を持つ選手に異なる勝ち方を残していたからです。

この違いは重要です。

飛距離のない選手にも勝つ道があるということは、飛距離の価値が低いという意味ではありません。

飛距離以外の能力にも、同じように勝敗を変える力があったということです。

しかし現在は、まず一定以上の飛距離を持っていなければ、ほかの技術を評価される段階まで進みにくくなっています。

高いコントロール技術を持っていても、長いクラブで硬いグリーンを狙わなければならない。

飛距離のある選手は、多少位置を外しても、短いクラブで同じグリーンを狙える。

同じホールをプレーしていても、実際には違う難易度の試験を受けています。

では、飛距離のない選手の技術が落ちたのでしょうか。

そうではないでしょう。

弾道計測器。

スイング解析。

クラブフィッティング。

コースデータ。

フィジカルトレーニング。

現代の選手は、過去よりも多くの情報と技術を持っています。

それでも飛距離のない選手が勝ちにくくなったのであれば、変わったのは選手ではありません。

競技が、どの能力を評価するかです。

本来のゴルフでは、コースが選手へ複数の問いを投げかけていました。

どこへ運ぶのか。

どの球筋を使うのか。

どこまで飛ばすのか。

どの場所からなら、次のボールを止められるのか。

しかし現在は、その多くが一つの問いへ集約されつつあります。

どれだけ前へ出せるのか。

これでは、ゴルフが持っていた精密な評価機能が失われます。

人の採点を必要とせず、コースそのものが多様な技術を評価する。

それがゴルフの優れたところでした。

ところが、飛距離だけが強く報われるコースでは、コースは採点者として十分に機能しません。

ゴルフが陸上競技に近づいたというのは、選手が筋力をつけたからではありません。

競技側が、最大出力を最も重要な評価項目にしてしまったからです。

戻すべきなのは、昔の飛距離ではありません。

飛距離のある選手にも、飛距離のない選手にも、それぞれ異なる方法で正解へたどり着けるコースです。

飛距離を使う。

位置を選ぶ。

角度を作る。

地面を使う。

球筋を変える。

それらの能力を、コースがもう一度平等に問い直す必要があります。

ゴルフは、誰が最も遠くへ飛ばせるかを測る競技ではありません。

誰が最も適切な方法で、ボールを目的地へ止められるかを測る競技です。

さらにゴルフでは、人間の身体が生み出した力を、クラブという長い道具を通して増幅し、ボールへ伝えます。

そのため、ほんのわずかなタイミングやフェース向きの狂いが、打ち出す方向、球筋、飛距離、着弾地点に大きな違いを生みます。

どれほど優れた選手でも、すべてのショットを完全に再現することはできません。

大切なのは、ミスを完全になくすことではありません。

起きた結果を受け入れ、そこから与えられた次の問題を工夫して解くことです。

そして可能であれば、目の前の一打を成功させるだけでなく、次に与えられる問題が少しでも簡単になる場所へボールを運ぶ。

ティーショットでは、次のショットを打ちやすい場所を選ぶ。

グリーンを外すなら、アプローチしやすい側へ外す。

ピンを直接狙えないなら、ボギーではなくパーを残せる場所へ運ぶ。

ゴルフでは、一打ごとの結果が、次の問題の難易度を変えていきます。

だからこそ、ゴルフは単なる動作の正確性を競うスポーツではありません。

不完全な結果を受け入れながら、判断と技術によって次の一打を組み立て直す競技です。

ここに紹介する動画も、そのことを考えるうえで参考になると思います。

次回は、このシリーズの出発点となったジャック・ニクラスの言葉へ戻ります。

帝王が本当に守ろうとしているものは、昔のゴルフなのでしょうか。

それとも、異なる技術を持つ選手が、それぞれの方法で勝つことのできるゴルフなのでしょうか。

シリーズの結論として考えてみます。

帝王の言葉 第5話 飛距離を無条件の利益にしないコース設定

前回は、ハーバータウン・ゴルフリンクスとオリンピッククラブを例に、開催コースが変われば、同じ選手でも飛距離の価値が変わることを考えました。

飛距離のある選手が勝つこと自体に、問題があるわけではありません。

問題は、遠くへ飛ばすことに、ほとんど代償がないことです。

現在の多くのツアー競技では、ティーショットを遠くへ飛ばすほど残り距離が短くなります。

残り距離が短くなれば、ロフトの大きなクラブを持つことができます。

短いクラブなら、高い球を打ちやすく、スピン量と落下角も確保しやすくなります。

その結果、ピンの近くへボールを止めることも容易になります。

つまり、

飛ばす。
残り距離を短くする。
短いクラブを持つ。
高い球でピンの近くへ止める。

という流れが、ほぼ一直線につながっています。

これでは、飛距離が単なる一つの技術ではなく、次のショットを簡単にするための万能の能力になってしまいます。

では、飛距離を抑えるためにフェアウェイを狭くし、ラフを深くすればよいのでしょうか。

それだけでは不十分です。

ロングヒッターは、飛距離のない選手よりも短いクラブでグリーンを狙えます。

飛ばない選手がフェアウェイから5番アイアンを持つ場面で、飛距離のある選手はラフから8番アイアンや9番アイアンを持てるかもしれません。

ラフへ入れた罰があっても、短いクラブと大きな出力によって、その不利を取り戻すことができます。

単にラフを深くするだけでは、飛距離の優位性は消えません。

むしろ、飛距離のない選手の方が、長いクラブで硬いグリーンへボールを止めなければならず、難しい課題を与えられることになります。

必要なのは、飛距離を直接罰することではありません。

飛ばした先から、ピンの周辺へボールを止めにくくすることです。

例えば、ティーショットが300ヤードを超えると、フェアウェイを突き抜けてセミラフまで転がるようにします。

残り距離は短くなります。

しかし、セミラフからはボールとフェースの間に芝が入り、スピン量や打ち出し条件が不安定になります。

フライヤーが出れば、短いクラブでもグリーン上へ正確に止めることはできません。

さらに、飛ばした先のフェアウェイをグリーンに対して悪い角度にすれば、短いクラブを持つ利益は小さくなります。

手前のバンカーを越えなければならない。

グリーンの奥行きを使えない。

着弾地点からピンまでの停止距離がない。

グリーン面が奥へ下っている。

こうした条件が重なれば、残り距離が短くても、ピンの周辺へボールを止めることは難しくなります。

一方、280ヤード地点の正しい場所へティーショットを置けば、残り距離は長くなります。

しかし、フェアウェイからクリーンに打てる。

グリーンの奥行きを使える。

手前の広い着弾地点を使える。

受け傾斜へボールを落とせる。

そうなれば、長いクラブを持っていても、戦略によってボールを止めることができます。

ここで、飛距離に初めて交換条件が生まれます。

300ヤードを超えて飛ばせば、残り距離は短くなる。

しかし、ボールを止めるためのライと角度を失う。

少し距離を抑えれば、残り距離は長くなる。

しかし、ボールを止められる場所と角度を得る。

どちらを選ぶのかは、ピン位置、風、地面の硬さ、選手の持ち球によって変わります。

毎回同じ答えにはなりません。

この「答えが一つではない」ということが、ゴルフの戦略です。

飛距離のある選手は、それでも大きな武器を持っています。

正しい方向へ300ヤードを運ぶことができれば、大きな利益を得られます。

しかし、方向や着弾地点を間違えれば、その飛距離が次打を難しくする。

飛距離が武器であると同時に、使い方を問われる能力になります。

スタジアムコースが作った、もう一つの問題

ここで考えなければならないのが、PGAツアーのスタジアムコースです。

スタジアムコースは、多くの観客を収容し、トップ選手のプレーを間近で見せることを目的に造られています。

観客が立てる広い場所。

選手を追いかけやすい動線。

テレビカメラを配置しやすい空間。

グリーン周辺を囲む観戦席。

興行を成立させるためには、非常に合理的な構造です。

しかし、観客を入れやすいことと、競技として優れたターゲットを作ることは、同じではありません。

ホールの両側へ多くの観客を配置すると、本来なら林や深いラフへ入るはずだったボールが、観客や仮設物によって止められることがあります。

ラフは観客に踏み固められます。

大きく曲げても、ボールはすぐに発見されます。

観客用の通路や仮設物の近くでは、ルール上の救済を受けられる場合もあります。

つまり、ホールの両側にいる観客が、ミスショットを受け止めるセーフティーネットになるのです。

フェアウェイが30ヤードしかなくても、その両側に観客エリアが広がっていれば、選手が実際に使える幅は、それ以上に広くなります。

コース図では狭く見えても、競技上の有効幅は観客席まで広がってしまいます。

これでは、フェアウェイを狭く設定しても、本来の効果は得られません。

また、スタジアム型の会場では、観客へ派手なショットを見せるために、ドライバーを思い切り振れるホールが好まれます。

広い着弾地点。

短いパー4のワンオン。

パー5の2オン。

大量のバーディーやイーグル。

こうした場面は、テレビ中継でも分かりやすく、観客も盛り上がります。

しかし、それが繰り返されると、コースはターゲットを示す場所ではなく、飛距離を展示する舞台になってしまいます。

観客を入れるための広さが、そのまま選手の許容範囲になっていることが問題なのです。

観客のために、コースを簡単にする必要はない

では、観客を減らさなければならないのでしょうか。

そうではありません。

現在には、ドローン、高倍率カメラ、弾道追尾、大型ビジョン、スマートフォンへの映像配信があります。

観客をホールの両側へ並べなくても、選手のプレーを届けることはできます。

例えば観客を、

ティーイングエリア周辺。

グリーン周辺。

複数ホールを見渡せる丘。

大型ビジョンを備えた集中観戦エリア。

安全に管理できる特定のホール。

へ集約します。

グリーン周辺の観客は、大型ビジョンでティーショットやセカンドショットを確認できます。

ドローン映像なら、選手がどこを狙い、ボールがどのルートを飛び、どの位置に止まったのかを上空から見せられます。

弾道追尾とコース図を組み合わせれば、

なぜドライバーを持たなかったのか。

なぜフェアウェイの左側を狙ったのか。

なぜ20ヤード短く打ったのか。

次打でどの着弾地点を使おうとしているのか。

まで観客へ伝えられます。

これは、単に従来の観戦を映像で代替するだけではありません。

飛距離以外の技術を、観客が理解するための装置にもなります。

観客をコースの両側へ並べ、選手の近くへ連れていくのではありません。

コース全体と選手の戦略を、映像によって観客へ届けるのです。

こうすれば、観客数を維持しながら、ラフや林、傾斜といった本来のペナルティを守ることができます。

スタジアムコースでも、敷地全体は広く使いながら、選手が狙うべき有効なターゲットを狭く設定できます。

観客のための空間と、競技のための空間を分ければよいのです。

フェアウェイの中にも、正解と不正解を作る

現代のコース設定には、もう一つ問題があります。

それは、ティーショットの落下地点だけでなく、フェアウェイのどこから打っても、グリーンへの条件があまり変わらないことです。

フェアウェイの左側でも右側でも、短いクラブを持てばピンを狙える。

これでは、ティーショットの方向性は、フェアウェイに入ったかどうかだけで評価されます。

本来は、フェアウェイの中にも正しい場所と間違った場所が必要です。

右側のピンに対して、左側のフェアウェイからならグリーンの奥行きを使える。

右側からは、バンカーや急な傾斜を越えなければならない。

翌日は左側にピンを切り、正しいティーショットの位置も反対側に変える。

ピン位置とティーショットのターゲットを連動させれば、同じホールでも毎日違う攻略が生まれます。

選手は、単にフェアウェイへ打つのではありません。

次のショットから逆算して、フェアウェイ内のどこへ打つのかを決める必要があります。

そして、ボールを止めるために使えるスペースを設計することも重要です。

グリーンを硬くするだけでは、すべての選手が止めにくくなるだけです。

正しい場所からなら、グリーンの手前へ着弾させ、傾斜とランを使ってピンへ寄せられる。

間違った場所からは、その着弾地点がバンカーやマウンドによって隠される。

こうすれば、ボールを止める能力は、クラブのロフトだけでなく、ティーショットの位置と戦略によって決まります。

ゴルフは、ボールを空中から直接ピンの近くへ止める競技だけではありません。

地面へ着弾させ、傾斜と速度を使い、最終的な停止地点を作る競技でもあります。

ところが現代のツアーでは、短いクラブで高い球を打ち、直接グリーンへ止める方法が優先されます。

飛距離によって短いクラブを持てる選手ほど、地形や角度を考える必要がなくなります。

それでは、コースが持つ立体的な意味が失われてしまいます。

飛距離問題の解決策は、すべての選手を同じ距離まで戻すことではありません。

飛距離が、常に同じ利益を生む構造を変えることです。

飛ばした方がよいホールがあってもよい。

距離を抑えた方がよいホールがあってもよい。

飛ばすなら、方向と着弾地点まで正確でなければならない。

抑えるなら、長いクラブでボールを止める技術が必要になる。

異なる選手が、異なる方法で同じターゲットへ到達できる。

その多様性こそが、ゴルフを単なる飛距離競争ではなく、技術と判断を問う競技にします。

必要なのは、ロングヒッターを排除するコースではありません。

飛距離だけでは正解にたどり着けないコースです。

そして現代の映像技術があれば、観客動員のために、そのターゲットを広げる必要もありません。

観客を多く入れることと、選手に簡単なコースを提供することは、まったく別の問題なのです。

次回は、飛距離を商品として売ってきたメーカーとメディアが、ゴルファーの価値観をどのように変えたのかを考えます。

帝王の言葉 第4話 飛距離が通用しないコースは、何を試しているのか

前回は、全米オープンの歴代優勝者を振り返り、2016年以降、飛距離のある選手が優勝者の中心になっていることを考えました。

では、本当に現代のゴルフでは、飛距離がなければ勝てないのでしょうか。

私は、そうではないと思います。

同じ選手が、同じクラブと同じボールを使っていても、開催コースが変われば、飛距離の価値は大きく変わるからです。

その代表が、ハーバータウン・ゴルフリンクスです。

ハーバータウンは、PGAツアーの中では決して長いコースではありません。

フェアウェイも広大ではなく、木の枝がショットの通り道を限定し、小さなグリーンへ入れる角度が重視されます。

ここでは、ティーショットを遠くへ飛ばせば、それだけで有利になるわけではありません。

フェアウェイに置いたとしても、左右を間違えれば、次のショットを木が遮ります。

グリーンが見えていても、進入角度が悪ければ、ピンの近くへボールを止めることができません。

つまり、ハーバータウンにおけるティーショットのターゲットは、単なるフェアウェイではありません。

次のショットを打つための、フェアウェイ内の特定の場所です。

飛距離がある選手でも、必要以上に前へ出せば、木の枝や悪い角度によって次打を難しくします。

反対に、飛距離が平均的でも、正しい側へ置くことができれば、グリーンの奥行きを使ってボールを止めることができます。

ここでは、

「どれだけ前へ行ったか」

よりも、

「次のショットをどこから打てるか」

の方が重要になります。

オリンピッククラブのレイクコースも、同じことを教えてくれます。

このコースで行われた全米オープンでは、必ずしもロングヒッターばかりが優勝してきたわけではありません。

ビリー・キャスパー。
スコット・シンプソン。
リー・ジャンゼン。
ウェブ・シンプソン。

いずれも、圧倒的な飛距離だけで試合を支配した選手ではありません。

オリンピッククラブのレイクコースは、サンフランシスコ南西部、太平洋岸に近いレイク・マーセッドを見下ろす丘陵地に造られています。

各ホールは起伏のある斜面を横切るように配置され、フェアウェイも地形に沿って左右へ傾いています。

さらに、フェアウェイを囲む大きな木々がショットのルートを限定し、ボールを通さなければならない狭い空間を作ります。

全米オープンでは、フェアウェイやグリーンがコンクリートのように硬く仕上げられることがあります。

小さなグリーンに直接ボールを落としても止まらず、グリーンのはるか手前へ着弾させ、地面を転がして止めなければならないホールもあります。

そのため、単に残り距離を短くするだけでは、ピンを狙うことができません。

どこから打つのか。

どの方向へ打ち出すのか。

どこへ着弾させ、どれだけ転がすのか。

そのすべてを逆算する必要があります。

ティーショットを曲げれば、単にラフへ入るだけではありません。

次のターゲットへ向かう射線そのものを失います。

深いラフなら、パワーのある選手が短いクラブで振り抜くことができるかもしれません。

しかし、木によって打つ方向を失えば、筋力では解決できません。

また、木がなくても、グリーンへボールを止めるために必要な着弾スペースを使えなければ、同じようにピンを狙うことができなくなります。

ここに、ターゲットゴルフの本質があります。

単にフェアウェイを狭くし、ラフを深くすればよいわけではありません。

正しい場所と、間違った場所の差を作ることが重要です。

フェアウェイの右側からなら、グリーンの奥行きを使える。

左側からは、バンカー越えになる。

少し距離を抑えれば、平らなライが残る。

飛ばしすぎれば、下り傾斜から打たなければならない。

このような構造があれば、選手は毎回ドライバーを最大出力で振ることができません。

飛距離を使うのか。

位置を優先するのか。

次のショットを、どの角度から打つのか。

それを考えること自体が競技になります。

狭いコースは、しばしば質が低いコースのように扱われます。

「ドライバーを振れない」

「プロには短すぎる」

「現代のツアーには向かない」

そのように評価されることもあります。

しかし、これはコースの質を見ているのではありません。

飛距離を発揮しやすいかどうかだけで、コースを評価しているのです。

本来、狭いコースほど設計の質が問われます。

ただ狭いだけなら、窮屈なコースです。

しかし、

どこへ打つべきかが明確である。

飛ばすルートと安全なルートが用意されている。

正しい位置からは次打が打ちやすい。

間違った位置からは、ピンへ止めにくい。

こうした意味があるなら、狭さは選手の技術と判断を測るための装置になります。

ハーバータウンやオリンピッククラブで、飛距離だけの選手が上位を独占しないのは、飛距離を不当に罰しているからではありません。

飛距離が、正しい場所へ運ばれたときにだけ価値を持つように設計されているからです。

ロングヒッターが勝てないわけではありません。

飛距離があり、なおかつ正しい位置へ運び、そこからボールを止められる選手なら勝つことができます。

今年のハーバータウンでも、十分な飛距離を持つスコッティ・シェフラーがプレーオフまで進みました。

しかし優勝したのは、ハーバータウンを過去にも制しているマット・フィッツパトリックでした。

これは、飛距離のある選手が排除されるという意味ではありません。

飛距離だけでは勝てず、位置、角度、距離管理、ボールコントロールまで揃えた選手が評価されるということです。

つまり、飛距離は絶対的な正解ではなく、総合技術の一つに戻されます。

ここから分かることがあります。

現代の飛距離問題は、クラブやボールだけの問題ではありません。

同じ用具を使っていても、コースが明確なターゲットを示せば、飛距離の支配力は小さくなります。

反対に、広いフェアウェイと柔らかいグリーンを用意し、飛ばした先から短いクラブで止められるようにすれば、飛距離は絶対的な価値になります。

選手が変わったのではありません。

コースが、何を良いショットとして評価するかが変わったのです。

ハーバータウンやオリンピッククラブが示しているのは、飛距離のある選手を排除する方法ではありません。

遠くへ飛ばす能力を、方向性、位置、角度、距離管理と同じ土俵へ戻す方法です。

ゴルフは、遠くへ飛ばした者が勝つ競技ではありません。

必要な距離を、必要な方向へ運び、次のボールを止める条件を作った者が勝つ競技です。

ニクラスは、すでに約7500ヤードまで延長されたミュアフィールド・ビレッジを、これ以上長くするには、周辺の道路まで買収しなければならないと語っています。

これは、単なる冗談ではないでしょう。

選手の飛距離が伸びるたびにコースを延長する方法には、物理的な限界があります。

だからこそ、次に考えなければならないのは、コースをどこまで長くするかではありません。

飛距離が、どのような条件で利益になり、どのような条件では不利益になるのか。

次回は、飛距離を無条件の利益にしないコース設定について考えます。

帝王の言葉 第3話 全米オープンは2016年から変わったのか

前回は、ジャック・ニクラスが40年以上前に開発へ関わった「ケイマンボール」から、現在の飛距離問題を考えました。

今回は、全米オープンの歴代優勝者を振り返ってみます。

全米オープンは、長い距離、狭いフェアウェイ、深いラフ、硬く速いグリーンによって、選手の総合力を試す大会とされてきました。

しかし、過去40年間の優勝者を並べてみると、2016年を境に、優勝する選手のタイプが変わっているように見えます。

まず、1986年から2015年までの優勝者です。

1986年 レイモンド・フロイド
1987年 スコット・シンプソン
1988年 カーティス・ストレンジ
1989年 カーティス・ストレンジ
1990年 ヘール・アーウィン
1991年 ペイン・スチュワート
1992年 トム・カイト
1993年 リー・ジャンゼン
1994年 アーニー・エルス
1995年 コリー・ペイビン
1996年 スティーブ・ジョーンズ
1997年 アーニー・エルス
1998年 リー・ジャンゼン
1999年 ペイン・スチュワート
2000年 タイガー・ウッズ
2001年 レティーフ・グーセン
2002年 タイガー・ウッズ
2003年 ジム・フューリク
2004年 レティーフ・グーセン
2005年 マイケル・キャンベル
2006年 ジェフ・オギルビー
2007年 アンヘル・カブレラ
2008年 タイガー・ウッズ
2009年 ルーカス・グローバー
2010年 グレーム・マクドウェル
2011年 ローリー・マキロイ
2012年 ウェブ・シンプソン
2013年 ジャスティン・ローズ
2014年 マルティン・カイマー
2015年 ジョーダン・スピース

この30年間にも、タイガー・ウッズ、アーニー・エルス、ローリー・マキロイ、アンヘル・カブレラのような飛距離のある選手はいました。

しかし、その一方で、

ヘール・アーウィン。
トム・カイト。
コリー・ペイビン。
リー・ジャンゼン。
ペイン・スチュワート。
ジム・フューリク。
グレーム・マクドウェル。
ウェブ・シンプソン。

といった、ツアーを代表するロングヒッターではない選手も全米オープンを制しています。

さらに、カーティス・ストレンジ、スコット・シンプソン、マイケル・キャンベル、ジェフ・オギルビーなど、飛距離だけを最大の武器としていたわけではない選手にも、優勝への道が残されていました。

もちろん、飛距離のある選手が勝つ年もある。

飛距離のない選手が、正確性や距離管理によって勝つ年もある。

優勝者の顔ぶれには、選手の能力と攻略法の多様性がありました。

飛距離のない選手は、飛ばないことを単純に補おうとしたのではありません。

ティーショットを正しい場所へ置く。

グリーンへ入れる角度を作る。

距離を正確に打ち分ける。

打ってはいけない場所を避ける。

そして、長いクラブでも狙った場所へボールを止める。

そうした技術と判断によって、飛距離のある選手と異なる方法で勝つことができました。

ところが、2016年以降の優勝者を見ると、様子が変わります。

2016年 ダスティン・ジョンソン
2017年 ブルックス・ケプカ
2018年 ブルックス・ケプカ
2019年 ゲーリー・ウッドランド
2020年 ブライソン・デシャンボー
2021年 ジョン・ラーム
2022年 マット・フィッツパトリック
2023年 ウィンダム・クラーク
2024年 ブライソン・デシャンボー
2025年 J.J.スポーン

この10年間の優勝者は、それ以前と比べて、明らかに十分な飛距離を持つ選手へ偏っています。

ダスティン・ジョンソンは、長年にわたってPGAツアーを代表するロングヒッターでした。

ブルックス・ケプカ、ゲーリー・ウッドランド、ブライソン・デシャンボー、ジョン・ラーム、ウィンダム・クラークも、飛距離を大きな武器とする選手です。

2025年のJ.J.スポーンは、この流れの中では例外に近い存在でしょう。

マット・フィッツパトリックも、以前は正確性やコースマネジメントを中心とする選手と見られていました。しかし、2022年に全米オープンを制するまでに、大幅な飛距離アップへ取り組んでいます。

つまり、もともと高いコントロール技術を持つ選手でさえ、現代の全米オープンを勝つには、さらに飛距離を加える必要があったとも考えられます。

では、2016年を境に、飛距離のない選手の技術が落ちたのでしょうか。

私は、そうは思いません。

現代の選手は、弾道計測、クラブフィッティング、スイング分析、フィジカルトレーニング、コースデータなど、過去とは比較にならないほど多くの情報を使っています。

ショット精度や距離管理の水準が、突然低下したとは考えにくいでしょう。

変わったのは選手の技術ではなく、コースが技術を評価する方法ではないでしょうか。

コースを長くする。

ラフを深くする。

グリーンを硬くする。

一見すると、これはロングヒッターを抑える設定に見えます。

しかし実際には、飛距離のある選手ほど、長いホールでも短いクラブを持つことができます。

ラフに入っても、ほかの選手よりロフトの大きなクラブで打てる。

高い球を打ち、大きな落下角でグリーンへ止められる。

つまり、飛距離を抑えるためにコースを長くした結果、飛距離を持たない選手の方が、さらに難しいショットを要求されることになります。

2016年のオークモントで勝ったのはダスティン・ジョンソンでした。

翌年のエリンヒルズでは、広く長いコースをブルックス・ケプカが制しました。

その後も、飛距離のある選手が優勝を続けています。

これは偶然なのでしょうか。

あるいは全米オープンが、正確性とボールコントロールを試す大会から、まず一定以上の飛距離を持っていなければ勝負へ参加できない大会へ変わったのでしょうか。

もちろん、2016年以降の優勝者が、飛距離だけで勝ったわけではありません。

彼らはアイアンショット、ショートゲーム、パッティング、精神力まで含めた、非常に高い総合技術を持っています。

問題は、ロングヒッターに技術があるかどうかではありません。

飛距離を持たない選手が、別の高い技術によって勝つための道が、コース設定の中に残されているかどうかです。

1986年から2015年までの全米オープンでは、飛距離のある選手にも、飛距離以外を武器にする選手にも、優勝の可能性がありました。

しかし2016年以降、その多様性が急速に失われたように見えます。

2016年以降の優勝者の変化は、飛距離のない選手の技術が落ちたことを示しているのではありません。

むしろ、飛距離のない選手の高度な技術を、勝利へ変換しにくい大会になった可能性を示しているのではないでしょうか。

次回は、ハーバータウンやオリンピッククラブでの試合を例に、なぜ同じ選手、同じクラブ、同じボールでも、コースが変われば飛距離の優位性が小さくなるのかを考えます。

帝王の言葉 第2話 帝王が40年以上前に考えた「飛ばないボール」

ジャック・ニクラスが、飛びすぎるゴルフボールについて考え始めたのは、最近のことではありません。

今から40年以上前、ニクラスは「ケイマンボール」と呼ばれる、通常より飛距離を抑えたボールの開発に関わっていました。

きっかけは、カリブ海のケイマン諸島に、限られた土地を使ってゴルフコースを造る計画でした。

通常のゴルフボールを使えば、十分な長さのコースを造ることができません。

そこでニクラスが考えたのは、土地をさらに広げることでも、無理にホールを長くすることでもありませんでした。

ボールの方を飛ばなくすればよい。

こうして開発されたケイマンボールは、通常のゴルフボールとほぼ同じ大きさでありながら、飛距離がおよそ半分になるように作られました。

ニクラスは、ゴルフコースの価値を距離だけで決めていなかったのです。

限られた土地の中でも、ショットの方向、距離感、球筋、そしてボールを止める技術を問うことができれば、ゴルフは成立する。

むしろ彼は、コースを延長し続けなければ成立しないゴルフの方に、早くから疑問を持っていたのではないでしょうか。

ケイマンボールは、日本ではほとんど認知されていなかったと思います。

しかし以前、木場本先生のご自宅にあった練習場では、このボールが練習球として使われていました。

そのとき私は、

「こんなにたくさんのケイマンボールが日本にあったのか」

と驚いたことを覚えています。

飛距離が大きく抑えられるため、広い土地がなくても、通常に近いスイングでボールを打つことができます。

通常のボールとまったく同じ弾道や風への強さを再現できるわけではありませんが、限られた空間の中で、打ち出す方向、高さ、曲がり幅を確認するという意味では、とても合理的なボールでした。

ここで、現在進められているゴルフボールのロールバックを考えてみます。

USGAとR&Aは、将来のボール規制によって、トッププロの飛距離を十数ヤード程度抑えようとしています。

しかしニクラスは、この程度の変更を、

「タイタニック号からデッキチェアを投げ捨てるようなもの」

と表現しました。

沈みかけている船から椅子を一つ投げ捨てても、船の行方は変わりません。

つまり現在提案されている程度の飛距離低下では、ゴルフが抱えている問題を根本的には解決できないということでしょう。

ただし、ニクラスの主張を「もっと飛ばないボールを作ればよい」とだけ読むのも違うと思います。

ケイマンボールが示したのは、ボールの飛距離を抑えることで、限られた土地の中でもゴルフを成立させられるという発想でした。

ところが現在のプロゴルフでは、ボールを少し飛ばなくする一方で、コースの考え方そのものは変わろうとしていません。

できるだけ遠くへ飛ばす。

残り距離を短くする。

短いクラブを持つ。

高い球と大きな落下角で、ピンの近くへ止める。

この構造が残ったままなら、全員の飛距離が十数ヤード落ちても、最も飛ばす選手が有利であることは変わりません。

全員が同じだけ後ろへ下がるだけだからです。

さらに、コースを長くし、ラフを深くするだけでは、飛距離のある選手を止めることができない場合があります。

ロングヒッターは、ほかの選手より短いクラブを持つことができます。

多少ラフに入っても、短い番手と大きな出力でグリーンを狙える。

つまり、飛距離を抑えるために行ったはずのコース延長や深いラフが、逆に飛距離のある選手を有利にすることさえあります。

必要なのは、単にボールを飛ばなくすることではありません。

飛距離が、そのままスコア上の利益へ変換されるコース設定を見直すことです。

例えば、300ヤードを超えたティーショットが、フェアウェイを突き抜けてセミラフまで転がるようにする。

そこからは残り距離が短くても、フライヤーが出やすく、グリーンの奥行きや受け傾斜を使えず、ピンの周辺へボールを止めにくい。

一方で、280ヤード地点の正しい場所へ置けば、残り距離は長くても、クリーンなライと正しい進入角度を得ることができる。

そうなれば選手は、毎回最大飛距離を求めるのではなく、

どこまで飛ばすのか。

どちら側へ置くのか。

次のショットを、どの角度から打つのか。

そこからボールを止めることができるのか。

を考えなければなりません。

飛距離を罰する必要はありません。

飛ばすことによって残り距離は短くなる。

しかし、ボールを止めるための角度やライを失う可能性がある。

反対に、少し距離を抑えれば、残り距離は長くなる。

しかし、グリーンを使える角度と良いライを得られる。

この交換条件があれば、飛距離は絶対的な正解ではなく、戦略上の一つの選択になります。

ゴルフは、遠くへ飛ばすことだけを競うスポーツではありません。

最終的に、狙った場所へボールを止める競技です。

ところが現代のゴルフは、ティーショットで前へ出し、短いクラブを持つことで、飛距離によってボールを止めるゲームへ傾いています。

本来は、ティーショットの位置、グリーンへの進入角度、球筋、着弾地点、傾斜を組み合わせ、戦略によってボールを止めるゲームだったはずです。

ケイマンボールは、商品として大きな成功を収めたとはいえません。

しかし、ニクラスが40年以上前に示した発想は、現在の飛距離問題を考えるうえで、今も重要な意味を持っています。

コースを長くし続けるのか。

ボールを少しだけ飛ばなくするのか。

それとも、飛距離の使い方そのものを選手に問うゴルフへ戻すのか。

ニクラスがゴルフ界に問いかけているのは、単なるボールの性能ではありません。

私たちは、どのような技術をゴルフとして評価したいのか。

その問いなのではないでしょうか。

次回は、全米オープンの歴代優勝者を振り返りながら、なぜ2016年以降、飛距離のある選手が急に目立つようになったのかを考えてみます。